移住日記① ~移住を考えた背景~

本日のねこ

曽根田です。

今日は久しぶりにすっきり晴れました。朝から空にはうろこ雲が広がっており、富士山はくっきりと山肌が見えるほど空気が透き通っています。農鳥も小さくなり鳥かどうか分からないくらい雪が溶けてます。花粉はたくさん飛んでいますが、都会と違って空気が綺麗なせいかアレルギー症状は全く有りません(私花粉症です)。とても爽やかな気分になる1日です!

さて、先日移住した感想を書いたのですが、見てくださっている方が多くいらしゃり嬉しいお言葉を頂いたので、もう少し掘り下げて書いてみようと思います。移住に興味がある方の参考になると嬉しいです。

まずは移住をしようと思った背景を紹介します。

実は、将来的に似非芸術家になりたいという夢があります。芸術家ではなく似非芸術家です笑。好きな時に好きな作品を創るというイメージです。私は小さな頃から物作りが好きでした。夢中になって、ビーズでアクセサリーを作ったり、折り紙を折ったり、絵を描いたりしていました。美術や技術の時間が待ち遠しかったです。

高校生の時には家具職人になる事も考えましたが、余り体力がない事、お給料が少なそうな事、性格が飽きっぽい事などがあり、総合的に考えて断念しました。物作りは好きですが、それを仕事にするのではなく、所得は別で作る事を考えました。

そして大学に入り、いくつかの方法を模索した中で「会社を経営する事」と「不動産投資をする事」の二択に絞りました。前者については、社会に出る前に出来ることならやってみたいと思い、同じ大学のメンバーと一緒に起業に向けた活動をしましたが力が及ばず断念しました。今となっては良い経験です笑

大学生として起業する事に失敗し、4年生の1月から就職活動をして不動産投資を学べそうな会社に就職しました。そこで営業、賃貸管理、営繕工事、オーナー対応をする部署を経験し、空き地を見ればアパートを建てた場合のおおよその収益や出口予想が分かるようになりました。そしてそれをもとに30代前半で新築アパートを購入し、大家さんになりました。1棟目という事も有り、少し無理のある計画でしたが立地が良かった(浦和)ため2年で売却益を出す事ができました。具体的には部屋が15㎡と狭いため客付が難しく、建ってから8ヶ月間は満室にはなりませんでした。不動産屋をまわっても空室が埋まらずお腹が痛くなりました笑。融資は少し高めの金利(2%前半)で35年で借りた為、なかなか元金が減りませんでした。2棟目はこの反省点を活かして、普通の広さ(21㎡位)で融資も20年で借りました。ガンガン元金が減っています。遅くとも50歳には完済出来る目処がたちました。高校時代にぼんやりと考えていた事が遂に実現しそうです。

ただ、当時住んでいた住宅街ですと、物作りをするにも限られた事しか出来ないため、拠点を変える必要があると考えていました。

そんなタイミングで忍野八海へ旅行に行きました。

現地に着くと、まだコロナが流行する前でしたので中国からの旅行客が多く、めちゃめちゃ混んでいました。え、こんなに人が多いの!というのが第一印象でした。中年の日本人女性に話しかけられて「日本語を久しぶりに聞いてホッとした」と言われたのを覚えています。私は忍野八海という場所がある事すら知りませんでしたので本当に驚きでした。

そして、目の前にはこれだけ人が集まるのも納得出来るくらい素敵な環境が広がっていました。透き通った水、気持ちの良い空気、少し湿った土の匂い、その日は曇っていて富士山が見えないにもかかわらず大満足な1日でした。

妻も私と意見が一致して、将来この近くで暮らせたら素敵だねと意気投合しました。そこからはトントン拍子で話が進み、今の自宅の購入に至ります。ここならチェーンソーで木を切っても、斧で薪を割っても、金槌で釘を打っても誰も文句を言いません。将来の似非芸術家にまた一歩近付きました。

移住日記① ~移住を考えた背景~
移住日記② ~物件検索~
移住日記③ 〜内覧その壱〜
移住日記④ 〜内覧その弐〜
移住日記⑤ 〜下調べ~
移住日記⑥ 〜仕事選び~
移住日記⑦ ~引っ越し~

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